ペンキ屋だった父は、若い頃三島由紀夫に心酔しており、三島が市ヶ谷の駐屯地で割腹自殺した時は仕事が手につかなかったそうだ。
そして僕にとっての強烈な死の印象というのは尾崎豊であった。
あの当時僕は高校2年生で、奇しくも自分が通っている高校の隣の寺院で彼の葬儀が執り行われた。あの日の校内の混乱は記憶に新しい。
自由が死んだ。と世間では騒がれ、確かに僕にとっても喪失があったはずである。
しかし抑圧された高校時代を通過すると僕は美大に入って完全に自由になってしまったので、彼の死の印象は霞んで小さくなってしまった。
また意外な事に、美大では尾崎豊は自意識過剰でやけに重たい存在として毛嫌いされがちな扱いであった。
つまり世間的にも経済のバブルがはじけ切り、尾崎の死を境目に饗宴に対する反抗の時代が終わったのだ。
三島と尾崎。僕にはこの二人のスタンスの違いはよく分からない。
しかし二人の死は自身の若さと美から出る矛盾によって、選ばざるを得なかった純粋な結末だったと思う。
そしてそれは世間と自己の間で揺れ動く若者にとって、自身の矛盾と卑怯さを突き付けられる出来事でもあったのだ。
さきほど朝帰りしてきた大学生の上の子が「カラオケで尾崎熱唱してきた」などと言っているのを聞くと、ふとあの日の混乱と不安、雨に濡れた参列の女の子達の姿を思いだしていた。
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