遅刻だと慌てる大学生の上の子を車で送ってやった。
行く場所は今は無き日芸所沢校舎。
夏休みの体育の授業で特別に利用するのだとか。
我々の時代は1.2年生は所沢校舎であった。
当時の日芸生には周囲に遊ぶ場所のない所沢校舎は酷く不評であったが、抑圧された高校時代を過ごし、好きなジャンルの大学に入ってとうとう自由になった自分にとっては、やっと呼吸が楽になったと思えた場所であった。
実家が近所でもあったし、毎日ワンゲルの部室に入り浸って遅くまで学校に残っていた所沢校舎の思い出は格別で、青春そのものであった。
しかしそれから30年が経ち、少子化の煽りを受けて数年前に所沢校舎は閉鎖され江古田校舎に統合されたので、子供が送ってくれた写真はどれも草ばかり伸びて廃墟様でラピュタ化が著しい。
感傷に耽っていると、その中の一枚を見た嫁が「ここはゆーやんに告白した聖地!」と言い始めた。
確かにそんな場所だった様な…
そう考えると、うちの子にとってはそこが自分の存在が決定づけられた場所な訳で、まさに自分宇宙が始まるビッグバンの様な一点という事も言えるだろう。
そんな場所に私は立ったことはないし、そこが何処だか知りもせぬ。殆どの人はそうであろう。
両親と同じ学校に通うというのは宇宙の扉を見つける事もできるのか…
父母が初めて出会った場所に子供が立つというのは、時計の針を強制的に逆回転させられている様な運命論的なものを見せつけられている妙な感覚に陥る。
神…いや、まさかね。
コメントをお書きください
朝霞の住人 (水曜日, 11 9月 2024 00:21)
こんばんは。
何か不思議な話。
我々が大学生だったのは、もう30年前かぁ。
はるか昔の様に感じます。
はしもと (水曜日, 11 9月 2024 08:16)
30年って何だかすごいですよね。
当時大学受かって部活の先輩が親に新車買ってもらうって話していましたけど、今じゃ考えられないですね。
嫌いなヤツだったけど!