存在抹殺

所沢駅西口からまっすぐ延びる商店街を「プロペ通り」といいます。

(所沢市は日本で初めて飛行機が飛んだ場所なので、

「プロペラ」を捩って付けたのでしょう。)

かつては丸井もあったりして、

もう少し地味で静かな通りだったのですが、

昨今では安居酒屋ばかりが軒を連ね、

なんだかますます下衆な雰囲気になって参りました。

正直言って、僕はこの通りが大嫌い。

だからといって、市民としてもうどうする事もできそうにない。

無かった事にするしかない。

それがプロペ通りなのです。

 

そんなファックなプロペで昨夜、中学時代の友人達と杯を傾け

愚にも付かない話しを展開致しました。

 

どうも僕には出自を否定し続けているくせに、

生地で暮らしているという矛盾の中に生きている節があります。

中学時代は確かにここに存在していたのに、

誰か別の人の人生だった様な気もします。

存在抹殺の努力の証拠に、高校は文京区にある学校に進学しました。

でも、またぞろ大学で所沢(日芸所沢キャンパス)に

鮭のように舞い戻ってきてしまい、

その後も京都まで行ったくせに、

紆余曲折の後、結局所沢に居を構える事になってしまうあたり、

もう先祖の霊に呼ばれているとしか思えません。

(ちなみに両親の祖父祖母の墓は偶然どちらも所沢にある)

 

そして中学時代の友人達との邂逅。

彼らと話していると、いつも等身大の自分でいられます。

でも、どこかでやはり過去を存在抹殺しにかかっている自分もいる。

故郷というのは否定と寛容、

過去と現在の狭間に存在している揺れ動くものなのか??