渡来人と戦争

アダムとイブの食べた楽園の「りんご」とは実は「麦」の事である。という説がある。

今までその日暮らしの気楽な狩猟生活だった人間が、農耕スタイルに変化する事により収穫(富)の差から貧富と序列という苦しみが生まれてしまったという説だ。

 

ところ変わって日本。

日本列島には狩猟生活主体だった縄文人が住んでおり、後に大陸から渡来人やってきて農耕をもたらしたと教科書で習った。戦争の痕跡は弥生時代以降らしいので、そこでは新参者の渡来人と先住民との間で民族間紛争の様のものが起きたのでは?と思いがちだが・・・

実はそうではなくて、元々戦争をやっていた渡来人が農耕と共に渡ってきた。とも考えられるのだそうだ。農耕と戦争はセットの様で、つまりアダムとイブの齧った禁断の実は戦争の始まり言っても良いわけだ。

もちろん縄文時代にも小規模な争いはあったとは思うが、大規模な国と国の戦争のような争い事は、それぞれ集団の人数が少なくそもそも不可能だった訳で、農耕により大人数を養う事ができるようになり、それによって富める者がそうでない者の上に立ち、より富を求めて隣国に戦争を仕掛けていくという事が可能になったと考えられる。

今起こっている悲惨な戦争もその延長線上にあると考えると、齧ってしまった果実にあったかもしれない幸福というものをついつい考えてしまう。